ミカロジ狭山物流センターの誕生
~ミカロジ狭山物流センターの誕生~1話
2005年6月に独立してから7年間は、『営業のスペシャリスト』『仕組み作りが上手い』などと煽てられ、呑気に物流ブローカー生活を謳歌しておりました。今振り返るとお恥ずかしい限りですが、当時はそれなりに売上もあったせいで、完全に経営をなめていたと思います。
そんな中、2012年6月に訳あって30名ほどの会社を引き受ける話が持ち上がり、周りからは大反対をされましたが、当の私はそれほど深く考えもせず、“これで俺も一国一城の主だ!”ぐらいの気持ちでその話を受けました。それが今の「ミカロジ狭山物流センター」です。
当たり前ですが、経営をなめていた私がそんな簡単に30名の会社を上手く経営できるはずもなく、従業員・お客様・協力会社様などに多大な迷惑を掛けながら悪戦苦闘してまいりました。潰れかけたのも1度や2度ではありません。
それでも7年半ほどが過ぎ、ようやく人的・資金的にも何とか一息つけるようになりましたので、反省や今後の戒めも含め、【悪戦苦闘記】というコラムで書き綴ってみたいと思います。
宜しければお付き合いください。
~辞められたら困る~2話
会社を引き受けてから社長としての最初の仕事は、
いきなりミカロジという会社に変わるという話を従業員に伝えることでした。
早速皆にその旨を伝えると、一気に5~6名が辞めますと言ってきました。
前の会社の経営が順調ではありませんでしたので、
会社が変わるのを機に辞める決意をしたのでしょう。
また新しい社長の私に期待が持てないとも思ったのでしょう。
辞めますと言った人を説得することはできませんでした。
“このまま更に辞めていく人が増えたらどうしよう?”後述しますが、
この“辞められたら困る”という不安が、
その後の経営に悪影響を及ぼすことになるとはこの時はまだ気づきませんでした。
~最初の給料日~3話
前の会社との引き継ぎでドタバタしている中、ミカロジとしての最初の給料日を迎えました。
諸々段取りができておりませんでしたので、初回は仕方なく現金で渡すことになりました。
ただでさえ不安を持った従業員が多い中で、
最初の給料に不備があれば更に辞める人を増やしてしまいます。
ですので、緊張しながら一人ひとり間違いなく現金を封筒に入れたのを鮮明に覚えています。
(30名分の現金を準備し、それを封筒に入れる作業はかなりの時間を要しました)
幸いにも経理担当女性の奮闘で無事滞りなく支払いすることができました。
当たり前ですが、働く人にとって給料の不手際は会社に対して大きな不信感を持たせてしまいます。
今現在もこの経理女性のお陰で給料に関しましては、大きな問題もなく支払いができています。
~資金流失の始まり~4話
前の会社は100%ミカロジ下請けでしたので、お客さんへの会社変更通知は不要です。
しかし大家さん・運送会社さん・資材業者さん等の業者さんとは
新たな契約を結ばなければなりませんでした。
前の会社が支払遅延や未払いを起こしていたこともあり、
何社かはミカロジとの契約に難を示されました。
しかし新たに業者さんを探している時間もありませんでしたので、
サイトを60日から30日に縮め、未払分とサイト短縮分を一括で支払うことを約束して、
どうにか全ての業者さんと契約を結ぶことができました。
契約がスムーズにできなければ業務がストップしてしまう恐れもあったので
無事契約に安堵しましたが、予想以上に手元資金を使ってしまいました。
ここから資金流失の始まりです。
~融資交渉~5話
諸々の支払いを済ませるとあっという間に手持ち資金が減ってしまいました。
慌ててミカロジ本社のある江戸川区の信用金庫に融資のお願いに行きました。
しかし今までさしたる付き合いもありませんでしたので、
「埼玉県に支店を出す理由では貸せない」とあっさり断られてしまいました。
(本当は別の理由だったかもしれませんが)
では、埼玉県の金融機関に!と足を向けたところ、
まだ狭山市に営業所登記が済んでおりませんでしたので、こちらもけんもほろろです。
この時はかなり焦りましたが、幸いにも江戸川区の地銀さんが応じてくれましたので、
当面の資金繰りはなんと乗り越えることができました。
しかしそんな状況での融資ですから取引条件は厳しいものを突き付けられました。
後々この融資の返済で苦しめられます。
この頃は金融機関との付き合い方もよく分かっておらず、自分の無知さを痛感です。
~人数が多すぎ~6話
給料支払いや業者さんとの契約を無事終えて、ようやく社内をゆっくり見渡してみると、
どうも作業人数が多いような気がしてなりません。
お恥ずかしい話ですが、引き継ぎに際して財分分析をまともにしておらず、
どんぶりのまま走り始めてしまいましたので、
当時はそういうところに全く目が行き届いておりませんでした。
実際によく観察してみると、作業売上や作業量に関係なく、現場の長が自分の感覚で、
“明日はこのぐらいの人数がいるだろう”と自由に派遣スタッフを呼んでいました。
どおりで人数が多いわけです。もちろん日々の収支も調べてみると真っ赤でした。
当時の社員たちは、日々収支という概念が全く無く、
「その日の作業を終わらす」ことに終始していました。
この事実に気付くと“この体制を変えて行くのは相当の覚悟が必要だ!”という不安が、
今更ながら襲ってきました。
~またまた“辞められたら困る”~ 7話
ミカロジへ移行当初は主要メンバーたちも、“新しい会社になって頑張ろう!”と
意気込みを持っていたと思います。
しかし、いざっ、新しい社長が来て今まで自分たちがやっていたことに注文を付け始められると、
“何言ってるんだ、この社長は?”という不信感に変わっていくのがハッキリとわかりました。
彼らの態度の変化に気付き始めると、またまた“辞められたら困る”という不安が膨らみはじめました。
過剰な派遣スタッフで日々赤字を積み上げていく中でも、
“そうだよな、彼らは今までこの体制で頑張ってきたのだから、もう少しこのままで行ってみよう”
自分なりの勝手な解釈で、現行体制を続けていくことにしました。
というより何も言えなかったのが本当のところです。
この無理な体制維持が後々ボディーブローのように、資金繰りの苦しみを増幅させていくのでした。
~ブレブレの社長~ 8話
トップが言ったことを部下の抵抗で簡単に曲げてしまうということは、部下から見たら、
ブレブレの社長に見えるのでしょう。
と同時に、この社長の言うことは安易に聞かなくても大丈夫だという気持ちも
持たせてしまうことでしょう。
この頃は毎日がそんな感じでした。
これは部下が悪いのではなく、そう思わせてしまうトップに問題があります。
しかし、この頃は“辞められたら困る”が常に頭の中に存在し、ブレブレの社長にしかなれませんでした。
結果、過剰派遣の件だけではなく、それ以降様々な問題にも部下たちの信頼を得ることができず、
思うような経営ができなくなってしまいました。
~見角さんと呼んで~ 9話
失い始めた信頼回復策として、まずは皆との距離を縮める取り組みを始めました。
尊敬する先輩経営者が、従業員に〇〇社長ではなく、
○○さんとさん付けで呼ばせていたことを思い出し、
『今日から見角さんと呼んで下さい』早速取り入れてみました。
と同時に、私の方からも、全従業員に××さんとさん付けで呼ぶようにしました。
20歳そこそこの若いアルバイトにもさん付けを通しました。
結論から申しますと、安易な考え・確固たる信念のない取り組みはなんの成果も生み出せず、
かえって皆との距離が離れていってしまうことになってしまいました。
因みに今では、見角社長に戻し、“中小企業はやっぱり社長が合うなぁ”と勝手に思っています。
~社長室~ 10話
ミカロジには社長室があります。
更に従業員との距離を縮める取り組みとして、
この社長室を主要メンバーに使っていいよと明け渡すことにしました。
主旨としては、社長室に閉じこもって社長然とするのではなく、
同じ事務所内で皆と一緒に頑張るよという意味を込めたつもりでした。
しかし今振り返ると、主要メンバーに社長室を使わせることによって、
彼らのご機嫌を取り、少しでも彼らを私の方に振り向かせようとする
姑息な手段だったと思います。
結果、部屋を分けることによって更なる主要メンバーとの心の壁を作ってしまい、
またまた距離を縮める取り組みは失敗に終わってしまいました。
~現場業務が苦手~11話
こういうことを公にするものではありませんが、
物流会社の社長ながら私は現場業務が大の苦手です
長い間この業界に身を置きながらです。
この苦手意識が“従業員に辞められたら自分では現場が回せない”
という不安を引き起こし、
思うような改革に結び付けられないのかもしれません。
その不安払拭のため何度か現場業務に入り込んでみたものの、
苦手意識が顔を出し、上手くいきませんでした。
当時は資金繰りに時間を取られていたことも言い訳にできましたが、
実際は私の本気度が足りなかったのでしょう。
残念ながら現場業務に対しては今でも苦手意識は抜けません。
~経費削減~12話
無駄な経費削減の取り組みも試みました。
過剰な派遣スタッフ・不必要な交際費・規制のない残業等々、
目についた無駄な経費を調べてみると、
月額でびっくっりするほどの金額になっていました。
早速経費を減らすように手を打ち始めます。
しかし既に主要メンバーとの軋轢が始まっていましたので、
彼らは簡単には私の指示を受け入れてはくれません。
自分でも“情けないなぁ”と思いつつ、
彼らにそれ以上強く言うことができませんでした。
まとまな経営者なら看過できないでしょうが、
結局そのまま無駄な経費を垂れ流し続けました。
当然急激に資金が減り始めていきました。
~融資の厳しさを知る~13話
江戸川区内の地銀から融資は受けたものの、
かなりの勢いで手元資金が減り始めていきました。
慌てて別の地銀の所沢支店に融資交渉に向かいました。
多少の不安はあったものの、まだこの頃は簡単に
借りられるだろうと軽く考えていたと思います。
しかし現実は甘くはありませんでした。
前期は黒字決算でしたが、諸々の急激な会社環境変化や
私自身の経営力不足が露呈していたのでしょう。
なかなか融資の了承を得ることができませんでした。
ここから金融機関さんとの血みどろの戦いが始まります。
(大げさかな?)
~資金繰りの恐怖が始まる~14話
融資交渉が難航する中、
以前にFAX-DMで問合せのあった上場企業の話をすると、
銀行担当者の顔が変わったようにみえました。
上場企業の仕事などは簡単に決まりませんが、
“ほぼ決まりかけてる”
“この仕事でかなりの収益が見込める”
とかなんとか必死に話したことを覚えています。
理由はどうあれ満額ではありませんでしたが、
なんとか当座を凌げるほどの融資が通りました。
この額を借りるだけでこんな大変なのに、
これから先更に必要になる資金をどう調達したら良いのだろう?
この交渉を機に資金繰りの恐怖が私の心に芽生え始めました。
~税理士事務所さん~15話
ブローカー時代は個人の女性税理士さんに委託していました。
その時は私一人の会社でしたので、
この女性税理士さんにしっかりと対応して頂きました。
しかし一気に30人規模の会社になり、
銀行交渉も頻繁に行わなければならなくなりましたので、
紹介にて都心の法人税理士事務所さんにお願いすることにしました。
この事務所さんには銀行交渉同行、財務分析手法、お客紹介等々、
ミカロジの苦境を乗り越えるために色々と骨を折って頂きました。
様々な取り組みで私自身とても良い勉強をさせて頂きました。
今は狭山市内の税理士事務所さんにお願いをしておりますが、
この事務所さんとお付き合いさせて頂いてから、
業務改善の兆しが出始めました。
今現在もお世話になっています。
こういう方たちのおかげで今があることを忘れてはいけないのでしょう。
~お客様離れ~16話
あるとき全売上の20%もあるお客様から
3ヶ月後の解約通知がいきなり届きました。
青天の霹靂というか、これには本当にビビりました。
表向き解約理由は航空便の関係で成田近くへの移転でしたが、
本当はミカロジのゴタゴタに不安を感じていたのかもしれません。
上手く行かないときは上手く行かないもんですね。
解約撤回を求めて何度もお客さんに足を運びましたが、
結論を覆すことは出来ませんでした。
この時は資金繰りどころではなく、
初めて会社が潰れるのではないかという恐怖が私を襲いました。
~実力経営者との違い~17話
悪いことは続きます。
前項のお客様だけではなく、
その他のお客様もジワジワとミカロジから離れていきました。
気が付けば倉庫の3分の1のスペースが空いてしまいました。
仕事が減り始めていましたので、
社内に居ると否応なく空きスペースや手空きの従業員が目につきます。
それを見るだけで胃痛や吐き気をもよおしていました。
こんなとき実力経営者ならこの苦境をしっかりと見据え、
確固たる対策を立てて実行に移すのでしょう。
しかし当時のビビりの私は、
この現実を目の前に恐怖に慄くことしかできませんでした。
~掃除をしよう①~18話
この苦境脱出への即効性にはなりませんが、
当時は社内清掃の習慣がありませんでしたので、
“俺が掃除をしよう!”と思い立ちました。
サラリーマン時代に掃除の効果は実感していましたので、
“掃除なら俺にもできるだろう”
“今の俺には掃除ぐらいしかできない”
などの入り混じった思いでとにかく始めて見ました。
しかし主要メンバーとの一度深まった軋轢は簡単には拭えず、
“俺らへの当てつけか!”
“社長が現場で勝手なことをするな!”
掃除をすることだけでも、早速反発が出始めました。
~掃除をしよう②~19話
“早朝からやるから業務の邪魔はしない”
“皆には掃除の強要はしない”
確かそのような約束をして主要メンバーの了承を得て、
とにもかくにも私一人で掃除を始めました。
ミカロジは敷地が2000坪ありますので、
最初は慣れるまでにかなりの時間を要しました。
しかしサラリーマン時代の経験も活かせ、
徐々にコツを掴めるようになってきました。
結局この毎朝の一人掃除は2年続きましたが、
私自身にとっては大きな財産となりました。
~呪文を唱える~20話
大きく空いたスペースを毎朝掃除しながら頭に浮かぶのは、
資金繰り・従業員との関係・顧客離れ等々、
常に不安なことばかりでした。
もちろん、なんら良い改善策などは浮かびません。
そんな時に京セラ創業者稲盛和夫氏の言葉を思い出しました。
『新しき計画の成就は只不屈不撓の一心にあり。
さらばひたむきに只想え、気高く強く一筋に』
意味もよくわかってはいませんでしたが、
なぜかこの言葉が心に残っており、自分を鼓舞するつもりで、
毎朝モップを押しながら呪文のように唱えるようになりました。
傍からみたら“ひとりブツブツ”と滑稽のなにものでもないでしょうが、
私にとっては神頼みみたいなものだったのかもしれません。
乱れた心を整えるのにはそれなりに役立ったように思います。
~元同僚の助け~21話
独立前に勤めていた物流会社の元同僚には、
会社の現状をありのままには言えませんでしたが、
売上が足りないので助けてほしいという旨は伝えてありました。
同僚とはありがたいものですね、
下請け仕事ですが大きく空いたスペースを
埋めるだけの仕事を回してくれることになりました。
ブローカー時代から生意気にも下請け仕事や依存比率が
高くなる仕事は受けないという方針を立て、実践もしていました。
しかしこの時はそんな悠長なことも言ってはおられず、
有り難くこの下請け仕事を受けすることにしました。
~下請け仕事~22話
せっかく同僚から助けてもらいましたが、
この仕事は大元の物流会社が急に暇になってしまったという理由で、
3ヶ月で撤退となってしまいました。
365日稼働、内容もかなりハードでしたので、収支的には厳しく、
結果的には早期撤退で助かりました。
ミカロジの実力不足もありますが、
下請け仕事はこのようなパターンになることが多々あります。
苦境を見兼ねて仕事を回してくれた元同僚には本当に感謝しています。
しかし同業の下請け仕事は、我々では価格や業務のコントロールができず、
結果苦しくなってしまうということをあらためて認識致しました。
今では当初のブローカー時代の方針通り、
下請け仕事や依存比率の高くなる仕事は受けないようにしています。
~見たいものしか見ようとしない~23話
この頃から主要メンバーとの軋轢が更に深まっていきました。
ユリウスカウセルの言葉でしたでしょうか、
『人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない』
言い換えれば『見たくないものは見ない』
要は見て見ぬふりでした。
当時の私はまさにこの状況でした。
詳細はここでは触れませんが、
社内はとてもまともな状態ではありません。
辞めていくパートさんが増えだしたのもこの頃です。
しかし私にはどうすることもできませんでした。
~金融機関を駆けずり回る~24話
とにかく急激に資金が減っていきますので、
片っ端から金融機関を駆けずり回りました。
メガバンク・地銀・信用金庫と手当たり次第に
顔を出したことを覚えています。
その中で日本政策金融公庫が比較的融資を
受けやすかったこともあり、
すぐに借りれるだけ借りました。
しかしそれでもすぐに資金が減っていきます。
ダメ元で再度この公庫へ相談に行きました。
が、案の定、担当者の方に
「この前融資したばかりじゃない。多分無理ですよ」
ほぼゼロ回答を突き付けられました。
わかっていたことですが、
あらためて現実に直面すると返す言葉も見つからず
意気消沈して帰宅したことを覚えています。
~新しい政権で?~25話
日本政策金融公庫に断られ全く当てが無くなり途方にくれていました。
ところがそれから1週間後公庫担当者より、
「ミカロジさん(申し込んだ満額の)融資が通りましたよ」
突然電話が掛かってきました。
一瞬、なにを言っているのか理解できませんでしたが、
余計なことを言うとこの話がなくなってしまうと思い、
「ありがとうございます。これからすぐ伺います!」
ちょうどこの頃第二次安倍政権誕生で、
新政権が中小企業に金を回せという政策が
あったとか?なかったとか?
理由は何にせよ、危機一髪、本当に助かりました!
~頭を下げる~26話
資金繰りが一息つくと、
日々減り続ける赤字をなんとかしなければなりません。
といっても、具体的な対策があるわけでもなく、
また従業員の協力も得られるわけでもありませんでした。
それでも何か事を起こそうとするには、
主要メンバーの了解を得なければなりません。
彼らの意に沿わない取り組みはあれこれと言い訳を付けられ
すぐ却下になってしまいます。
そんな時にも“辞められたら困る”の私の弱い心は、
「ごめん、俺の考えが間違っていたよ」
すぐ彼らに頭を下げていました。
この時は悔しさや情けなさよりも、
彼らの了解を得るにはどうしたら良いだろうという、
およそ経営者とはいえない思考にしかなれませんでした。
~ブーメランのように~27話
主要メンバーの反発に頭を悩ませながら、
「みんな勝手なこと言ってるけど、
あれっ?昔の俺の方がもっと酷かったかも?」
ふと思い出しました。
振り返ってみると、20代の頃の私は、
若気の至りもありましたが、
当時の社長や上司にかなり盾突いていました。
上司を辞めさせたこともあったほどです。
その頃の自分と今の主要メンバーとを比べてみると、
圧倒的に私の方が扱いにくい部下だったと思います。
この事実に気付くと、
当時の自分の言動で社長や上司を困らせたことが、
ブーメランのように今の自分に返ってきたんだと
妙に納得してしまいました。
~やはり社長の責任~28話
ブーメランのようなしっぺ返しに気付くと、
なぜか気分的には随分楽になりました。
もし自分が社員の立場で新しいブレブレの社長を迎えたら、
彼らと同じように、
いやそれ以上に反発することは間違いないでしょう。
そう思えるようになると、
今のこの現状は主要メンバーに問題があるのではなく、
リーダーシップを取れない社長である自分に責任がある
という思考に変わり始めました。
だからといって、
新たな対策を思いついたわけではありませんでしたが。
~主要メンバーの離脱①~29話
自分に責任があるという思考にはなったものの、
結局主要メンバーは辞めていくことになりました。
このことはすぐお客様にも知れ渡り、
各社から「今後ミカロジは大丈夫なの?」
という心配の声を頂きました。
もっともらしい言い訳もみつかりませんでしたので、
「元々別の会社を引き受けて今までやってきましたが、
私の実力不足でどうにもこうにもいきませんでした。」
と正直に答えました。
何社かはミカロジから離れていくことを覚悟しました。
しかし返ってきた言葉は、
「見角さん、ミカロジはこれから絶対に良くなるよ!
引き続き頼むよ!」
この言葉は有り難かったです。
この数社さんからは今でもお仕事を頂いています。
~主要メンバーの離脱②~30話
幸いにもお客様は離れていくことはありませんでしたが、
今度は現場が大変なことになってしまいました。
色々とあったにせよ、業務の中心は主要メンバーでしたので、
彼らの抜けた穴を埋めることが最優先です。
残ったメンバーは主要メンバーから圧力を受けていましたので、
ようやく彼らが伸び伸びとできるだろうと高を括っていました。
ところが結果は全く違いました。
「主力メンバーになる自信がありませんので、僕たちも辞めさせて下さい」
ビビッて、ビビッて、ビビりまくりました。
この時はありえないような条件提示をして、
何とか残ってもらいました。
しかしこの場当たり的な対処が
後々問題を大きくすることになってしまいました。
~新しい体制~31話
ありえない条件提示で辞めることを止めさせましたが、
更に私はまたまた同じ過ちを犯します。
以前も社長室を明け渡して失敗をしていたのに、
新たな責任者にまたもや社長室を譲ってしまったのです。
今更ながらに私の馬鹿さ加減にあきれますが、
この時もご機嫌取りという安易な手法に頼ります。
新しい体制当初はこの責任者含め皆本当によく頑張ってくれました。
慣れない管理業務含め、アップアップでしたが、
業務をなんとかこなしてくれたことは本当に感謝しています。
このような変革期に、
本来経営者として組織作りをしなければならないのでしょう。
しかし諸々の場当たり的な対応や本気の覚悟を持てなかった私は、
新しい体制を作り上げることができませんでした。
結局数年後にこのメンバーたちとも袂を分かつことになってしまいます。
~試算表が怖くて見ることができない~32話
失った仕事は回復しないままでしたので、
この頃は毎月大赤字です。
その額は数十万ではなく数百万円というレベルです。
年間じゃありません月間です。
ミカロジのような零細企業でのこの赤字額は
瀕死の状態と言っても過言ではありません。
財務に疎い私は月末後税理士さんから出てくる試算表をみて、
その月の収支を確認します。
感覚的に今月はやばいぁと思う時は、
怖くて試算表をなかなか見ることはできません。
勇気をもってようやく紙面に目を向けます。
しかし悪い数字が良くなるわけでもなく、
現実を突きつけられる赤く書かれた
マイナス数字が並んでいるだけでした。
このときも精神的にきつかったです。
~財布の中身はすっからかん~33話
毎月の赤字額は一番ひどい時で300万円にもなりました。
簡単にいうと、財布の中に2000円が入っていますが、
そこから毎月300円が無くなっていきます。
このままでは半年過ぎれば財布の中身はすっからかん。
財務に疎い私はこんな表現で
減りゆくキャッシュフローを見つめていました。
どんな表現にせよ、お金が増えるわけではありません。
税理士さんからは財布流にいうと
「財布の中が1000円以下になったら、会社を畳むことも考えましょう」
いよいよ来るべきときがきたのかなぁ・・
~夢のまた夢~34話
かといって手をこまねいているわけにもいかず、
相変わらず営業と資金繰りに奔走していました。
現場は新たな主要メンバーたちがアップアップの状態で
なんとか日々業務をこなしている状態です。
この状態に数百万円という赤字を解消すべく
新たな仕事を持ってくるなんて、
「夢のまた夢」としか思えませんでした。
お陰様で今現在もミカロジは続いております。
この「夢のまた夢」を現実にすることはできたのでしょう。
ただ具体的にどう現実になったかは、ハッキリと思い出せません。
それほど無我夢中だったのかもしれません。
少しづつこのブログを進めさせて頂きながら、
失った記憶を呼び戻してみたいと思います。
~心のサプリメント~ 35話
日々資金繰りの恐怖と戦っていました。
なんとか打開策をと考えるのですが、
思考の行きつく先は、“潰れたらどうしよう?”
この頃のビビりの私の弱い心は悲鳴をあげていました。
情緒不安定にもなっていたのでしょう、
妙に涙もろくもなっていました。
そんなときに目についたのが、
先人著名人や経営者の勇気ある言葉でした。
早速ブックオフに行き、そういった本を片っ端から買い漁り、
小さなノートに書き留めました。
ビビり始めたときは、このノートを捲り、
“俺の悩みなんてたいしたことないなぁ”
と前向きにさせてもらいました。
これは大いに役立ちました。
私はこのノートを勝手に「心のサプリメント」と名付け、
今でも大切に手元に置いています。
~水害~36話
前項の心のサプリメントで特に勇気づけられたものを
ひとつ紹介させて下さい。松下幸之助氏のものです。
少し長いですがお付き合い下さい。
水害がおこった。
そして一つの町がすっかり流されてしまった。
その隣の町はなんにも被害が無かった。
こういう場合は沢山あります。
ところが10年後に流された町がどの程度発展するか、
少しも流されなかった町がどういうように発展するかというと、
これは大変な違いです。
流された町が例外なく全部発展しているのです。
そういう点を見ると、恵まれたと思ったところは、
実は恵まれていないんですね。
悲惨な状態になった町が10年先には数倍の発展をするということは、
なにが原因であるか。
私は心の問題だと思います。
これは復興してやらないといけないぞという、
人々の働きによって変わってくるのです。
ミカロジ町は水害で流されてしまったんだと思うようにしました。
~決算書は社長の通信簿~37話
資金繰りの苦しさは変わりません。
ようやく狭山市に営業所登記をして、
県内の金融機関にも融資交渉を開始しました。
税理士さんにお知恵を借り、
一斉にいくつかの金融機関に声を掛け、
競争原理を働かせてみました。
とはいってもミカロジの財務状況ですので、
ほとんど競争原理は働きませんでしたが。
その都度決算書を提出させられるのですが、
どの担当者も決まって決算書を見ながら黙り始めます。
“こりゃヒドイ、どう断ろうか?”
彼らの心の声がよ~く聞こえました。
どなたかが、「決算書は社長の通信簿」と言われていましたが、
オール1の通信簿を恐る恐る親に見せている気持ちになりました。
~初めての裁判~38話
日々色んな問題が降りかかってきます。
今度は引き継いだ前の会社社長に金銭絡みで訴えられました。
今振り返ってみても、
“よくまぁいろんなことが起きたなぁ”(苦笑)
訴えられた私からみれば会社を存続させたのにという思いはありますが、
訴えた方は真逆の感情を持つものなのでしょう。
忸怩たる思いを持ちながら裁判が進むうちに、
ミカロジへの会社移行の際にしっかりと手順を踏まなかった
私がいけなかったと思えるようになりました。
(一筆書いて判子をもらっていればこんなことにはなりませんでした)
結局裁判は数年かかり両者痛み分けのような形で終わりました。
お金も時間も要しましたが、良い経験を積ませてもらえました。
~パートさん問題~39話
今度は現場に目を向けます。
現場の体制がしっかり構築できていませんでしたので、
パートさんに管理面も頼まなければなりませんでした。
業務を回すという点では優秀なパートさんがいましたので、
その人を中心に据える体制にしました。
最初はうまく回っていましたが、
徐々にそのパートさんの行き過ぎた言動が目立つようになってきました。
“こりゃまずいなぁ”と心で思いつつ、
こういうときでも“辞められたら困る”癖が出てしまい、
また見て見ぬふりを始めてしまいました。
挙句の果てにはそのパートさんの不満や愚痴にも同調して、
どんな要望も受け入れてしまいました。
今振り返れば(振り返らなくても)ダメダメ社長です。
このダメ社長のせいで当時の従業員には本当に嫌な思いをさせてしまいました。
~顔に出る~40話
相変わらず失われた顧客の売上を取り戻せないでいたので、
営業活動を必死に続けていました。
独立してからFAX-DMでの問合データが数百社ありましたので、
そこに毎日アポなし訪問です。
資金繰りや現場混乱からの逃避もあり、
かなり積極的に外に出て行きました。
そんな得意分野の営業活動でしたが、全く成果が出ません。
私なりの分析(?)では、日々の不安が訪問先でも顔に出ていたと思います。
成果が出なければ出ないほど、更に顔に出ます。
成果が出なければ資金の恐怖も襲ってきます。
それもまた顔に出ます。正に典型的な悪循環です。
当時の私の顔には、不安という文字が大きく書いてあったと思います。
唯一自信のあった営業も崩れ落ちていくようでした。
~訪問件数~41話
前項に続き、営業活動のお話です。
(格好良く言うと)戦略的にターゲットエリアを絞っていましたので、
各社を回る際の移動時間は短かったです。
ですからアポなし訪問というやり方も加味して、
それなりに訪問件数は多く回れます。
それを踏まえてもかなりの件数を訪問しました。
恐らくこの時期だけでも延べで1000件以上は訪問していたと思います。
いくら訪問しようが結果が出なければなんの自慢にもなりません。
特に経営者の場合は。
そんな営業活動でしたが色んな会社を訪問できた経験は、
なんらかの形で私の経営者人生に影響を与えているかもしれません。
~飲めば寝れた~42話
現場のゴタゴタは相変わらずです。
雀の涙ほどに赤字幅は減ってはきていましたが、赤字は赤字。
返済費用も含め、手元資金は減っていきます。
諸々の経営環境が良くなる兆しは全くありません。
ビビりの私の恐怖は深まる一方です。
日中考えることは“潰れたらどうしよう?”
朝から晩までそのことが頭から離れません。
薬の救心の説明書にあるような、どうきや息切れも出始めました。
しかしそんな私でも唯一(安酒ですが)飲んじゃえば、
すぐ寝ることができました。本当によく眠れました。
不謹慎かもしれませんが、
自殺する経営者の仲間入りにならなかったのは、
よく眠れたことが原因かもしれません。
~娘の涙~43話
生活費にも影響出ていますので、家族にも迷惑をかけました。
その中で特に申し訳なかったのは、娘の学校のことでした。
当時娘は中高一貫の私立校に通っていました。
このままの生活状況では私立には行かせられません。
そのことを正直に娘に伝えると大泣きです。
当たり前ですね、
急に今の学校に行けなくなると父親から言われるのですから。
親としては本当に情けなかったし、申し訳ない気持ちでした。
普段偉そうに父親面していた分、娘は反発もあったでしょう。
女房の協力もあり、幸いにもなんとか
その私立校には通わせることができました。
たまに娘にそのときの話をすると、“そんなことあったっけ?”
本当に覚えていないのか?すっとぼけているのか?
まぁ、ありがたいです。
~前の会社の悪口~44話
知り合いが“近くの物流会社の責任者数名が会社を辞めたけど面接する?”
という情報をくれました。
数名というのが気になりましたが、
責任者クラスが喉から手が出るほど欲しかったので、
その話に飛びつきました。
早速その数名と面接です。
話を聞いてみると、皆一様に社長の悪口のオンパレード。
その時は私も“なんて酷い社長なんだ”と安易に同調してしまいました。
両者の思惑が一致しましたので、早速入社してもらいました。
結果、ご想像通り・・・すったもんだがありながら、
彼らはすぐ辞めて行きました。
ミカロジの受け入れ態勢も悪かったと思いますが、
会社の悪口を言う人は要注意という教訓を得たいい経験でした。
辞めていった彼らは、恐らく次の会社で私の悪口のオンパレードでしょう。
~社長の背中~45話
独立前は大手の物流会社に勤務していました。
この会社の社長は一代で一部上場までにした業界では有名な方です。
ここには独立を目指して勉強のために入社させて頂き、
4年間お世話になりました。
最後の2年間その社長の目の前が私の席でした。
なにか特別なアドバイスをもらったわけではありませんが、
私なりにその社長の背中をみて感じるものがありました。
この経験は本当に良い勉強になりました。
「社長のような社長になります!」
多少おべっかもふくめ
独立後にお世話になったお礼の手紙をだしたことを覚えています。
一部上場などは目指すつもりもありませんが、
学ばせて頂いた経験は活かしていきたいと思います。
~友達だから貸さない~46話
この頃は年がら年中資金繰りで苦しんでいましたので、
いつ頃の話か記憶が定かではないところもあります。
資金がニッチもサッチもいかず、先輩経営者に相談に行きました。
というよりお金を借りにいきました。
この先輩ならもしかしたらという淡い期待を持ちながら、
多少の誇張も含め現在の苦境を必死に訴えました。
「ここでお前に貸すのは簡単だ。
だけどそれをしたら俺はお前とは友達でいられなくなる。だから貸さない。」
私の数倍も苦労されている先輩ですので、
その方からみたら私の苦労など大甘にみえるのでしょう。
私を傷つけないような優しい言い方で諭してくれました。
そのときは不謹慎にも“ふざけんなよぉ、貸してくれよぉ”
心の中で叫びましたが、
今となっては本当に有り難いお言葉をいただきました。
~絡まった糸~47話
行き過ぎた言動のパートさんがまだ中心にいます。
私は相変わらずそのパートさんの言われるがままです。
中心パートさんは業務を回すことには長けていましたので、
表向きは普通に回っているように見えます。
ところが実態はパワハラというと書きすぎかもしれませんが、
それに近いようなことが起きていました。
派閥もあちこちにでき始めていました。
なんとか改善をと考えるのですが、
中心パートさんの“機嫌を損ねないように”が私の根底にありますので、
良い手が打てません。
結果パートさん同士の関係が絡まった糸のようになってしまいました。
ちなみにこの時の苦い経験が、
「楽しく働く!」という今のミカロジの行動指針に繋がっています。
~社長室での涙~48話
2度も安易な取り組みで社長室を明け渡してしまいましたが、
結果、心の壁しか生まないことがわかりましたので、
強引に社長室は取り戻しました。
絡まった糸は更に絡まっていきます。
年がら年中パートさんから私に相談がきます。
普段私は事務所の席にいますが、
込み入った話の時は社長室を使います。
パートさんの糸が絡みに絡まっていますので、
皆感情が高まっています。
ついでに単純思考の私です、つい同情をしてしまいます。
いや~皆さんよく泣きました。
ワンワンと。
多くのパートさんが社長室で涙を流しました。
ふざけた口調で書いてしまいましたが、
泣かせた張本人はこういう経営しかできない私自身だということを
忘れてはいけません。
~ほめ~る大作戦~49話
絡まった糸を解くべく、またまた場当たり的な対応です。
とにかくパートさん同士の陰口悪口がひっきりなしでしたので、
それを無くすべく、サンクスカードを参考に、
お互いを褒める習慣をつけようと試みました。
「毎日誰か1人を褒めよう!」朝のミーティング時に始めました。
その名も“ほめ~る大作戦”(恥)
「今日のほめ~るは、〇〇さんの段取りがとても上手です」
てな具合です。
滑り出しは上々のつもりでしたが、
1ヵ月もしないうちに
「こんなことやって意味があるんですか?」
覚悟を持った取り組みではありませんでしたので、
あえなくこの“ほめ~る大作戦”は撃沈しました。
~論語~50話
ほめ~るへの反発のほとぼりが冷めた頃、
絡まった糸解き第2弾です。
以前渋沢栄一の論語と算盤の朗読会に
参加したことがありましたので、
論語の良さは(なんとなくですが)
わかっているつもりでした。
「よし、論語を理解させ、悪口を減らそう!」
また単純思考が頭をもたげます。
今度は毎朝論語の一文づつ抜粋して皆にメール送信です。
ミーティングでも論語の話題を振りまきましたが、
残念ながらというかやっぱり「論語ってなんぞや?」
そんな反応しか返ってきませんでした。
早々に自ら撃沈の道を選びました。
相変わらず気の弱い私はほめ~るの傷心も残っており、
~人を動かす~51話
懲りずに絡まった糸解き作戦第3弾です。
食傷気味かもしませんが少々お付き合い下さい。
論語以上に良いなぁと思っていたのが、
D.カーネギー著『人を動かす』でした。
この本からはかなりの影響を受けていましたので、
気に入った箇所はノートに書き留め、
何度も読み返していました。
今度こそはと意気込み、皆に1冊づつこの本を買い与え、
毎朝私が5分程朗読してみることにしました。
何とか思いやりの心を育み悪口のない会社にしたいと思って
心を込めて読んだつもりでしたが、
やはりどこか私の本気度が足りなかったのでしょう。
今度も前回・前々回同様
「こんなことして何の意味があるんですか?」
(結構強い口調で)
3度目の撃沈でした。
~失恋経験?~52話
3度の撃沈を経験して今振り返ってみれば、
会社を変えるには、
「なにがなんでも会社を良くするんだ!」
という強い強い経営者の本気度が必要だということに気付きました。
当時の私はまったくもってこの強い本気度が足りませんでした。
“辞められたら困る”にビビり、
“支払いができなかったらどうしよう?にビビり、
“潰れたらどうしよう?”にビビり、
こんな状況ですから、なにを取り組んでも長続きしません。
ビビり~の私ですが、唯一生きたのが多くの失恋経験かもしれません。
振られても振られてもすぐ次の恋に立ち向かう。
この経験が何度も何度も撃沈しながらも
次なる取り組みに立ち向かえたのかもしれません。
私を振った多くの女性たちに感謝です。
~腹を括る?~53話
財布の中身がすっからかんがいよいよ見えてきました。
“潰れたらどうしよう”が頭の中を渦巻きます。
税理士さんから、
「従業員全員を解雇しましょう。
狭山物流センターを閉めましょう。
今のお客さんを外部に預けましょう。
昔のブローカーに戻りましょう。
金融機関は全てリスケにしましょう。
そうすれば会社を潰さなくてすみます」
という提案が出てきました。
“そんな手があったのか!”
不覚にも一瞬従業員の解雇が頭を過ります。
自分中心なんですね。
その時は従業員のことより自己破産を
避けることしか頭にありませんでした。
結局1日熟考して、
“従業員の解雇はできないや。やるだけやってダメなら、
従業員への給料をちゃんと払って潰れよう”
ようやくなんでしょうか、
腹を括れたのかもしれません。
~DM業者さん~54話
腹を括った(?)後の最初の取り組みは、
DM(ダイレクトメール)にて新たな顧客の獲得です。
といってもお金がありませんので、
知り合いのDM業者さんに
「今はお金が払えない。潰れるかもしれない。
潰したくないのでDMを流したい。
潰れなかったら払います」
よくまぁこんなお願いをしたものです。
ありがたいですね、
こんな無謀な注文にもDM業者さんは
快く引き受けてくれました。
結果このDMで当面食い繋げるだけの受注が取れ、
分割でしたがDM業者さんに全てお支払することが出来ました。
DM業者さんとはいまだにお付き合いが続いています。
感謝の一言です。
~率先して悪口を言う~55話
この頃の主要メンバーは男性社員4名でした。
情けない話ですが最初の主要メンバー同様に
彼らとも信頼関係が結べていませんでした。
パートさんから社員への不満が増え始めます。
解決の手を打てない私は、
パートさんの不満に同調してしまいます。
悪口のない会社にしたいと思っている私が
率先して社員の悪口を言っていました。
最低の社長です。益々男性社員との溝が深まります。
撃沈含め様々な取り組みにも成果が出ないのは当たり前ですね。
当時の私は上手く行かない理由を
全て社員のせいにしていたと思います。
~黒字企業に憧れる~56話
この頃は赤字決算真っ最中です。
5期連続赤字達成!
黒字決算などは別世界です。
ですから黒字企業には物凄い憧れがありました。
お客さん・協力会社さん・知り合いの会社さん、
とにかく黒字企業をみると、
「なんて凄いんだ!」
バスケ好きの私流にいうと、
中学バスケ部の生徒がマイケルジョーダンに憧れるのと
同じような気持ちだったかもしれません。
当時の私は絶対にダンクシュート(黒字企業)はできないなぁ。
それほど赤字に染まっていました。
~単身赴任~57話
当時は江戸川区の自宅から狭山市まで通っていました。
車の時と電車バスの時と交互に使って通勤していました。
どちらもざっくり片道2時間、交通費1000円強掛かります。
時間のロスも大きいですが、なんせお金がありません。
諸々計算すると会社近くに安アパートを借りた方が
お得ということがわかりましたので、
新所沢駅近くに単身赴任することにしました。
15年振りの一人暮らしです。
“潰れたらどうしよう?”の不安はつきまとっていますが、
妙にワクワク感もあったのを覚えています。
この辺りの単純さが良くないのか?私らしいのか?
今現在も単身赴任継続中で俄か独身生活を謳歌しています。
~社長が一番思いやりがない~58話
あの手この手と改革は続けていました。
次なる取り組みは
『思いやり三原則』
挨拶は大きな声で
誰とでも分け隔てなく
今日も笑顔で
思いやりの心を育み、
みんなが安心して働ける会社を作るんだという
想いを込めて始めてみました。
ところが至る所から、
「社長が一番思いやりがないよね」
またもや挫けそうになりましたが、
少しづつ私の本気度が増したのでしょうか、
今回は踏み止まることができました。
お陰様でこの『思いやり三原則』は
今でもミカロジの行動指針として残っております。
~後悔は一度もない~59話
“潰れたらどうしよう?”
で日々神経をすり減らしていましたが、
不思議とこの会社を引き継いだ後悔は一度もありませんでした。
悔やむのは、自分の経営者としての能力の無さでした。
“なんで上手くいかないんだろう?”
“他の経営者とはなにが違うんだろう?”
ブローカー時代は偉そうに他の経営者さんに能書きを垂れていました。
今思えば、厚顔無恥も甚だしいです。
しかし後悔しなかったのは、結果的に良かったと思います。
紆余曲折、様々な挫折を味わいましたが、
もし頭の片隅にでも会社を引き継いだことへの後悔があったら、
今ミカロジを経営していることはなかったかもしれません。
~主要メンバーの比較~60話
最初の主要メンバーとその後の主要メンバー、
どちらも信頼関係を結ぶことができませんでした。
分析するようなものではありませんが、
あえて振り返ってみますと
最初メンバーは表立って対立してきました。
逆に後メンバーは表向きは従順です。
最初メンバーは直接的でしたので
かなり手を焼いた記憶があります。
しかし後メンバーは上手く表現できませんが、
最初メンバーより苦労が多かったように思います。
まぁどちらにせよ、信頼関係を結べなかった一番の要因は、
“辞められたら困る”で、
本気で彼らにぶつかれなかった私にありました。
~本気でぶつかっていたら~61話
たまに考えます。
もしも私に“辞められたら困る”という恐怖がなく、
辞めていったメンバーたちと本気で
ぶつかっていたらどうなっていたのだろう?と。
仮定の話ですから答えなんてわかりませんが、
やはり彼らとは無理だったのではと思います。
今現在の従業員たちとの良好な関係を鑑みると、
根底にある理念というのでしょうか?
そこの一致が辞めていった人たちとは
元々できなかったような気がします。
あっ、違いました。
辞めていった人たちの方が私に対して
ノーを突きつけたんですよね。
前言撤回です。
~わずか50万円~62話
2000万円、1000万円、500万円、100万円、50万円
これはなんの数字でしょうか?
お恥ずかしい限りですが、
ミカロジ5期連続の赤字額です。
徐々に赤字幅は減っていきましたが、
赤字は赤字です。
毎年辛かったですが、
特に5年目の50万円はしびれました。
今年こそはという思いがありましたので。
銀行は1円でも赤字なら評価はしません。
50万円ぐらいなんとかなるだろうと思いますが、
なんとかしようとしての結果でした。
当時は粉飾決算という魔の声に何度も誘われましたが、
後ろ指を刺されるようなことは絶対にしないという
意志だけはなんとか通すことができました。
それにしてもまぁよく垂れ流したものです。
~経理担当女性~63話
ミカロジが今なお続けられている一番の理由は、
経理担当女性の存在です。
この女性には本当に助けられました。
(今もです)
仕事は経理事務ですが、
実際は私のお守り役・指導役・相談役
それに従業員みんなのお母さん役を担って頂いています。
偉そうに私中心の悪戦苦闘記などと書いておりますが、
本来なら彼女の悪戦苦闘記を
書かなければならないぐらいだと思っています。
目の前では恥ずかしくて言えませんので、
この場を借りて
「いつもありがとうございます!」
~俺は持ってる!~64話
前項の経理女性、従業員、お客様、協力会社さん、
その他大勢の人たちに私は支えられています。
皆さんには本当に感謝しています。
この気持ちには変わりありませんが、
心の中でこういう方たちに出会えた
“俺は(運を)持ってる!”
やはりジコチューなのかもしれませんね。
でもそう思っていると、
なぜかいつも周りに私を助けてくれる人が現れます。
本当にもうダメだと思うようなときにです。
やっぱり“俺は持ってる!”のでしょう。
~環境整備~65話
株式会社武蔵野の小山昇社長の『環境整備』
ご存知の方も多いと思います。
簡略すると、掃除で会社を強くしよう!
これに感化され、見よう見真似でやってみました。
半年間は続いたでしょうか、
結果は過去の取り組み同様に
またもや中途半端で終わってしまいました。
これは典型的な私の独り相撲というか先走りでした。
準備段階を踏まずに『環境整備』に書いてある
成功事例のみを取り入れてしまい、
本業にまで負担がいくようになってしまいました。
当時の従業員はいい迷惑だったでしょう。
その失敗を活かし、今はほどよい環境整備を行っています。
~女性は優秀~66話
過去80名の離職者、現在30名の従業員、
恐らく100名以上は面接をしたと思います。
男性・女性と書くと今は〇〇ハラと言われそうですが、
批判を恐れずに書くと面接に来られた方は
間違いなく女性の方が優秀でした。
ですので、当然今のミカロジを
支えてくれている女性たちも皆優秀です。
世の中がそうなのか?
ミカロジの業務特性上なのか?
とにかく女性の優秀さが際立ちます。
もちろん今のミカロジ男性陣も優秀です。
(これ書かないと怒られます)
今後の発展に於きましては、女性の力は欠かせません。
「社長、それセクハラ発言!」
たまにやってしまいますので、
優秀な女性にそっぽを向かれないように気を付けます。
~不機嫌な態度を取るんじゃない!~67話
詳細を書くと誰と特定されていますのでぼかします。
“辞められたら困る”に常にビビリ、
私は言いたいことを強く言えません。
特にいつも不機嫌な態度を取っている従業員に。
しかしこのままでは本当に会社が潰れると思い、
意を決して!
その従業員たちに今まで我慢していたことをぶつけました。
「不機嫌な態度を取るんじゃない!」
強く言いました。
やはり、反発されました。
で、皆辞めていきました。
ついに、恐れていたことが起きました。
ところが会社が良くなりました!
(辞められたら困るは幻だったのかもしれません)
この経験は大きかったです。
それ以降毎朝朝礼で声を大にして、
「不機嫌な態度を取るんじゃない!」
今に繋がっていると思います。
~母親~68話
ここまで色々と書くと
恥ずかしいものは無くなってきますが、
さすがに母親からお金を借りたことは
書きづらいですね。
(もう書いちゃっていますが)
母親からみたら息子は可愛いのでしょう。
独立の際には1番応援してくれましたし、
独立後も事あるごとに心配もしてくれました。
ですから父が亡くなってからは
特に母には心配かけないようにしていました。
しかし私の不安定を母は見抜くのでしょう。
「正直に話しなさい」
老後に貯めたなけなしの貯金を
ポンと差し出してくれました。
情けなさと悔しさと有り難さが入り混じって、
号泣です。
(これを書いていてもウルっとしてしまいます)
結局母の厚意に甘えてしまいました。
早くミカロジをちゃんとさせて安心させたいです。
~帝京ラグビー部~69話
帝京ラグビー部を9連覇させた監督の著書を読みました。
監督就任後、根性論の練習量では
どこの大学にも負けませんでした。
しかし勝てません。
あるとき上級生の試合を観戦していた1年生が
「帝京が負けちゃえばいいのに」
これを聞いた監督はショックを受け、
考え方を変えました。
4年生が徹底的に1年生の面倒をみる。
練習着の洗濯・部屋の掃除・道具の準備や手入れ・グランド整備・・・
すべて4年生が行います。真逆の発想です。
そこから9連覇が始まります。
具体的なミカロジでの取り組みはまだできていませんが、
この考え方はぜひ取り入れていきたいと思います。
~属人的な業務~70話
社内体制が整っていませんので、
業務は担当ごとに丸投げです。
それでも業務はなんとなく回っていましたので、
深く考えもせず彼らに依存していました。
業務改善・効率化・誤出荷対策等々、
そういったものは全くと言っていいほどやっていませんでした。
そうすると人間というのは楽な方に向かいます。
彼らは独自のやり方に固執するようになります。
また新しいこともやらなくなります。
はい、これで属人的な業務の出来上がりです。
一度凝り固まった属人的業務を崩すのは大変です。
結局当時のメンバーから、この属人的業務という凝りを
崩すことはできませんでした。
その反省を活かし、今では複数の女性スタッフをチーム制にして、
業務をオープン化にしています。
お客様からの評価、掛かる人件費、効率性などなど、
全てにおいて今の方がグッと良くなっています!
~朝の時間~71話
ご存知の方も多いと思いますが私は朝が早いです。
それも超がつくほどです。
朝の時間を活用してきたから今があるとも思っています。
ですから、朝はとても重視します。
しかし当時の主要メンバーは始業時間ギリギリに会社に来ます。
遅刻も当たり前のようにありました。
手当を付けるといっても来ませんでした。
当然朝の段取りが間に合いませんので、業務に支障が出ます。
この悪戦苦闘記を振りかえっている中で、
このことが一番イライラしました。
なんせ毎朝のことですからね。
まあこういうことも説得させられなかった私の力量不足に尽きますが。
今では主要メンバー全員が朝早く出勤(手当は付けています)して、
しっかりと段取りをしてくれています。
残業も減りました。業績も上がりました。
やっぱり朝は大事だと思います。
~私より年上~72話
あるときに私(53歳)より年上の方が数名面接に来ました。
ちょうどその頃は主要メンバーが辞めることでゴタゴタしていました。
気持ちにも余裕がなかったのでしょう、
また良さそうな人が面接に来られましたので、
「会社がゴタゴタしています。助けて下さい。」
およそ面接ではありえないような対応をしてしまいました。
有り難いことに、若輩社長の気持ちが通じたのか、
又は意気に感じてくれたのか、
「わかりました。一緒に頑張ります!」
それから彼らは年下の私にはない経験をフルに活用して
頑張ってもらっています。
本当に色々と助けられています。
いまでは私より年上は6名います。
もちろん定年制はありません。
皆さん、いつまでも元気で頑張って下さい!
~家庭的な会社~73話
何年もゴタゴタが続いていましたが、
私の小さな夢
『ミカロジを家庭的な会社にしたいなぁ』
は持ち続けていました。
何年もの赤字経営、大量の離職者を出していますので、
会社を大きくすることなど私の能力では皆無です。
しかし小さい規模ならなんとか夢を実現できるかもという
淡い期待は持っています。
そんな中、パートさんが一子目の妊娠の報告に来ました。
これは嬉しかったですね!
その後無事出産を終えて復職してくれました。
もうおじいちゃんのような気持ちです。
こういう喜びを従業員全員で共有できる会社にしたいです。
そのパートさんは先日2人目の女の子を無事出産し、
ただいま産休中です。
~能力より理念~74話
辞めていった人も含めてミカロジには
業務能力に長けた人が沢山いました。
その中に言動に問題がある人もいました。
このブログでも散々書きましたが、
ついその能力に目がいき、
“辞められたら困る”で行き過ぎた言動を見逃したり、
甘やかしたりしてしまいました。
そういう経験を踏まえて思うのは、
能力がある人を重視するよりは
多少作業能力が劣っていたとしても
社長の理念(ミカロジでは思いやり)に
理解を持ってくれる人の方を大切にしないとなぁ。
今では理念共有ができているスタッフに囲まれています!
と思ってます・・
~プラスの仕事~75話
悪戦苦闘の5年間を振りかえってみると、
資金繰り奔走、
従業員同士のゴタゴタ、
お客様への謝罪等々、
マイナスをゼロにする作業しか
していなかったように思います。
言い訳を含めて言わせて頂ければ、
赤字企業からのスタートでしたので
仕方ないといえば仕方なかったのかもしれません。
それにしても時間は掛かり過ぎましたが。
有り難いことに、
ここ最近は資金繰り・ゴタゴタ・謝罪等はほとんどありません。
ということはこれからが本当に経営者としての
プラスの仕事をしていかなければなりません。
もう前の会社が、従業員が、銀行が、と言い訳は許されません。
あらためて身が引き締まります。
~この会社は・・~76話
少し話を戻します。
まだゴタゴタ真っ最中の頃、
「この会社は・・」
ミカロジ従業員がよく発した言葉です。
自分の会社なのに、
なぜか傍から見た「他人の会社」のような言い方をします。
なにか問題が起きたときに客観的な立場から物言う感じです。
この言葉を聞くといつもガックリでした。
なんで他人事なんだろう、私を社長と認めていないんだろう、
という寂しさや口惜しさが入り混じった思いをしたもんです。
嘘でもいいから、「うちの会社は」って言ってくれよぅ。
しかしこういう何気ない一言などは、
発している本人たちは無意識なのかもしれません。
ということはそう言わせてしまう環境を社長が作っているのでしょう。
私も従業員の前での何気ない一言は気を付けたいと思います。
~無味乾燥~77話
これも少し戻してゴタゴタの頃です。
ミカロジでは毎朝15分程ミーティングを行います。
当時は私への反発が大きかったものですから、
まぁ雰囲気はよくないものでした。
話す内容も皆無味乾燥に自分の業務のことのみです。
何とか明るい雰囲気をと思っていましたが、
部下の反発に尻込みして、私も無味乾燥です。
朝からストレス全開だったことを覚えています。
今の朝ミーテングの雰囲気の良さを鑑みると、
朝から笑いやゆとりの環境をつくることも
経営者の大切な仕事だと痛感致します。
~身ぎれい~78話
何度も資金のピンチに見舞われました。
その都度粉飾決算という魔の声が
「ちょこっと数字を弄るだけだよ」
聞こえてきました。
「みんなやっているから大丈夫だよ」
アドバイスをくれる方も正直いました。
しかし踏ん張りました。
といっても強い意思があったわけではありません。
財務に疎いことと面倒くさがり屋が入り混じって、
「なんかややこしくてよくわからん」
結果、身ぎれいな状態を保つことができました。
自分自身の能力不足に助けられました。
~部活の上級生~79話
学生時代の部活の思い出としてよく聞くのは、
下級生のときに上級生にいじめられた話です。
皆さんも記憶にあるのではないでしょうか?
反対に、自分が上級生の時に下級生をいじめたと
いう話はあまり聞きません。
いじめられた話をよく聞くということは、
いじめた人はいっぱいいるはずです。
しかしなぜか、自分がいじめた話は聞きません。
この現象は会社でも同じかもしれません。
入社当時や部下の頃はいじめられたことがあっても、
自分が上司になると・・
ミカロジでもこの現象はかなりありました。
こういうことを踏まえると、
目先のいじめを止めることも大切ですが、
大元のいじめの仕組みを断ち切ることが必要なのかもしれません。
簡単ではありませんが。
~土俵の真ん中で相撲をとる~80話
『土俵の真ん中で相撲をとる』
京セラ稲盛和夫氏の有名な言葉ですね。
思えば、資金の枯渇・大量の離職者・相次ぐトラブル、
いつも土俵際に居ました。
土俵際ということは、こちらから技を掛けることもできず、
必死に土俵から足が出ない(倒産しない)ようにもがくだけ。
~やる気スイッチ~81話
♪やる気スイッチ~君のはどこにあるんだろう~?
確かそんなCMソングがありました。
人それぞれやる気スイッチの場所は違うと思います。
自分の子供でもやる気スイッチを見つけるのは大変なのに、
他人のそれを見つけることは皆無に近いでしょう。
しかしもしその皆無が現実になるようでしたら、
会社にとってもの凄い大きな力になるでしょう。
手前味噌ですが、最近ミカロジスタッフに自主性が
出てきているように感じます。
もしかしたら私が皆のやる気スイッチを押したのかも?
嬉しい期待と単なる私の勘違いの両面の気持ちを持ちながら、
今日もみんなのやる気スイッチの場所を探します。
~創業社長の苦労~82話
創業社長実話本や日経新聞『私の履歴書』などを読むと、
皆さん創業当初は本当に苦労されています。
血の小便などは当たり前。
そういう方たちの今現在の立派な会社を見てしまうと、
ミカロジとの比較もなにもあったもんじゃありません。
しかし皆裸一貫で独立されたときのころとを見比べると
勇気が湧いてきます。
のたうちまわる資金繰り、
従業員の造反や離脱、
お客様とのトラブル・・
あんな立派な社長も昔は俺とおんなじことをしてたんだなぁ。
ただ勇気をもらっただけでは仕方ありません。
本に書かれているような立派な会社にするのは難しくとも、
せめてみんなが安心して働ける会社は目指したいものです。
~楽しく働く!~83話
ミカロジ行動指針
『楽しく働く!』
一見なんてことない標語ですし、
軽い感じもします。
自分でこの言葉を考えついた時もそう思いました。
しかしこの悪戦苦闘記で苦しかったことを振り返り、
あらためてこの行動指針がミカロジには合っているなと
実感しています。
なんだかんだいっても、経営は『人』です。
ミカロジで働いてくれる『人』が楽しくなければ、
ミカロジは発展しません。
苦悩の5年間でこの気づきを得たのは大きかったです。
経営者としての能力も立派な経営戦略も持ち合わせていません。
ですのでせめてもミカロジで働いてくれる『人』が、
楽しく働ける環境をつくることに全力を尽くします!
~銀行交渉~84話
以前も書きましたが、銀行交渉には苦労しました。
なんせ毎年赤字ですから、交渉ではありませんね。
懇願だったと思います。
その時はまだお金を借りることに罪悪感がありました。
当然ビジネスをやっていくうえで資金は必要なのですが、
借りたお金で経営することに抵抗がありました。
そんな気持ちがありますので、
ただでさえ苦しい交渉に輪を掛けて苦しさが
増していったのでしょう。
お陰様で最近では多少の場数も踏ませて頂いたので、
『借りた金なんか返さなきゃいいんだ!』
なんていうのは冗談です。
金融機関の皆さまには常日頃大変お世話になっています。
近々にまた相談させて頂きますので、
どうぞお手やわからにお願い致します。
~良い社長と悪い社長~85話
昭和の伝説経営コンサルタント一倉定先生の名言
『世の中に良い会社とか悪い会社なんてない。
あるのは良い社長と悪い社長だけである』
先生独特の怒鳴り口調で言われますので、
尚更この言葉は刺さります。
じゃあなにが良い社長でなにが悪い社長かは
正直まだよくわかっておりません。
では一倉先生のもう一つの名言
『電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である』
余計わからなくなってしまいました。
でも良い社長になれるように頑張ります!
~題名通り~86話
「心配事の9割は起こらない」
そんな題名の本を見つけました。
買っていません、読んでもいませんが、
悪戦苦闘記の5年間を振り返れば、
“本当にこの本の題名とおりだなぁ”
経験したことのない心配事というのは、
解決方法が分からず不安が先にきてしまうのでしょう。
特にビビりの私は、
その不安を自分の中で勝手に増幅もさせていました。
そんな私ですが、ある程度の経験もさせて頂きましたので、
以前よりは心配事は減ったかもしれません。
それでも日々心配事は尽きません。
結局経営者は心配事と上手に付き合っていくしかないのでしょうね。
忍耐です。
~誰とでも分け隔てなく~87話
ミカロジ行動指針
『思いやり三原則』
挨拶は大きな声で
誰とでも分け隔てなく
今日も笑顔で
その中でも特に思い入れが強いのが、
「誰とでも分け隔てなく」です。
これは私自身の考えですが、
私「見角秀樹」という人間は、
身内であれば父であり亭主であり親戚であり、
友人であれば先輩後輩であり親友であり悪友であり、
会社であれば社長であり協力会社でありお客であり、
まあ様々な立場での人との関わり合いがあります。
どんな立場にせよ、
私「見角秀樹」は関わりある人たちみんなと同じ距離で
居たいという想いがあります。
偉そうに言って全くもって出来ておりませんが、
もしこの「誰とでも分け隔てなく」ができるのであれば、
きっと良い人生が送れるのではないかなぁ~と
勝手に思っています。
~出戻り~88話
先日反発して辞めていった元社員が復職しました。
当時は会社の雰囲気もありましたが、
まあ彼はよく私に反発していました。
その後彼は転職して、社会の厳しさを学んだのでしょう、
また陰ながらミカロジの変化(私は成長と思っています)を
感じてくれていたようです。
「二度と生意気な態度を取るんじゃないぞ!」
パワハラ一歩手前の強い口調で念を押しました。
もう少し時間が経たなければわかりませんが、
もし彼が今のミカロジ理念を踏襲して会社を
引っ張って行ける活躍ができたならば、
それはそれでミカロジも彼も成長したことになるでしょう。
今後の彼に期待します!
~うろたえる~89話
従業員が辞めると言ってきたとき、
月末に資金が足りないと分かったとき、
お客が解約したいと言ってきたとき、
その都度うろたえていました。
ギャーと叫びたくなります。
不安で心が掻き乱されます。
本当に情けないほどうろたえていました。
そんなときは思考が働きません。
私の大切な「心のサプリメント」に書いてあります。
大切なことはうろたえないことである。
うろたえては、かえって針路を誤る。
そして沈めなくてよい船でも沈めてしまう。
あやうくミカロジ丸を沈めるところでした。
~相手の業務を知らない~90話
“なんであの人はあんなに仕事が遅いの”
悪口合戦真っ最中によく聞こえてきました。
じっくり観察してみると、えてして悪口を言っている人は、
相手の業務をよくわかっていない場合がありました。
相手への好き嫌いの感情もあったでしょうが、
自分の業務中心の視点でモノを言う感じです。
これはきっとどこの職場でもあることではないでしょうか?
時間は掛かりましたが、ミカロジでは、
「私はこの仕事しかしないという自分勝手なことは言わない」を掲げ、
色々な業務を交代でやる習慣にしました。
お陰様で今では、
“社長っていつもなんにも仕事してないね”
しか聞こえてきません。
~反抗の方程式~91話
属人的な業務に凝り固まった従業員の話です。
当然私はその凝りを解そうとします。
すると、まずは出来ない理由を言い始めます。
次に自分の正当性を主張します。
最後に私への悪口が吹き荒れます。
これみんな私のいないところで行います。
はい、これが私に対する反抗の方程式です。
皆一様にこのパターンでした。
以前は色々と悩みましたが、
この方程式に気付くと気持ち的には随分と楽になりました。
といって解決策を見つけたわけではありませんが。
~派閥~92話
会社を引き継いだ当時、常温倉庫と定温倉庫、
事務所とデータ室、更にこの4ヵ所が複雑入り混じって、
派閥が出来上がっていました。
傍から見ればなんてことない内容ですが、
当の本人たちは派閥抗争に必死です。
正直どこから手を付けていいか全くわかりませんでした。
規模は違いますが、国同士の紛争も似たような構図かもしれません。
派閥というのは人間の本性なのでしょうか?
まあ当時よりは解消されたと自負していますが、
派閥はできるものだと思って
組織づくりをするのも必要なのかもしれません。
~お金のトラブル~93話
地元が錦糸町ということもあり、
若い時は借金して遊びまわった記憶があります。
小さな運送会社に勤めていましたので、
金銭トラブルは日常茶飯事でした。
そんな私が従業員を雇用して8年目に入りますが、
様々な苦労に悩まされた割には、
不思議と従業員絡みの金銭トラブルは一度もありませんでした。
悪戦苦闘期には考えもしませんでしたが、
今振り返ると、金銭トラブルがなかったのは
苦闘期を乗り越えられた大きな要因の一つだったかもしれません。
“この会社にお金がない”と思われていたのが良かったのかも??
~怒鳴る~94話
こんな温厚(?)な私ですが、
この苦闘期に5回ほど大声で怒鳴ったことがあります。
いつもは“辞められたら困る”
癖で怒鳴る前に自制心が働くのですが、
この5回は自制が効かなかったのでしょう。
しかし折角の怒鳴りも普段怒鳴り慣れていないので、
結局何を言っているのか私も相手もわからずじまいで
終わったように思います。
常に笑顔を心掛けているうえで、
戦法としてたまには怒鳴るのも効果的かもしれません。
まあ私には無理でしょうが。
~パートさんの有休~95話
会社を引き継いだ時にはパートさんの有休はありませんでした。
お恥ずかしい話、パートさんに有休があることも知りませんでした。
交通費・残業代・社員の有休・・・財務が厳しい中、
やれる範囲で少しずつ社内規定を整えていきました。
「次はパートさんの有休だね」
経理女性と話していた矢先に入社2日目の新人パートさんが
「この会社にはパートの有休がない。なんて酷い会社なんだ」
突然騒ぎ出しました。
経理女性がその新人さんに「もうすぐ整えますよ」と宥めても、
他の従業員を巻き込んで大騒ぎです。
一時はどうなることかと思いましたが。
幸いにもその新人さんはすぐに自ら辞めていきました。
掻き回されましたが、その新人さんのお陰で、
パートさんの有休を予定より早く整えることができました。
~トラブルの時期~96話
資金枯渇・従業員離職・お客様離れ・裁判・・・
5年の苦闘期にまあよく色んなトラブルが起きました。
当時はどれひとつとってもギリギリの対応でした。
しかしふと思い返すと、
もしどれかひとつでもトラブルの時期が重なっていたら・・
間違いなくドボンでした。
神様が寸でのところで止めてくれたのでしょうか?
それとも私の持っている運が強かったのでしょうか?
どちらにせよ、何かが重なっていたら本当にドボンでした。
怖くなったので、考えるのは止めておきます。
~従業員との会話~97話
30名ほどの小さな会社です。
社内に居るときは全員に声を掛けるようにしています。
と、今は偉そうに言っていますが、
苦闘期には反発する従業員たちと極力会話を避けていました。
こういう狡さが私にはあります。
堂々と彼らと会話をすればいいのですが、
“何か反対意見を言われたらどうしよう?”
“不機嫌な態度で返されたらどうしよう?”
会話に踏み込めませんでした。
結果、話易い従業員との会話が増えますので、
「なんだよ社長、あいつらの話ばっかり聞きやがって」
(こんな汚い言葉ではないと思いますが)
その反省を踏まえ、今に活かしています!
と、思っています。
~絡まった糸の解し方①~98話
以前にパートさん関係の絡まった糸の話を書きました。
糸解きのために様々な取り組みを行いましたが、
全て上手く行きませんでした。
あの手この手と打ったつもりでしたがダメでした。
人間同士の絡まった糸を解すのは並大抵ではないでしょう。
よくアイドルグループやお笑いコンビの不仲の話題が出ますが、
それなど絡まった糸の典型ではないでしょうか。
元通りになるグループやコンビはほとんど見かけません。
と、相変わらず私の能力不足を屁理屈で誤魔化しています。
~絡まった糸の解し方②~99話
もう少しこの話題を掘り下げてみます。
そもそも糸はなぜ絡まってしまうのでしょうか?
恐らく最初はお互いの糸はピンと張っているはずです。
そこからお互いの理解不足、考えの違い、仕事の環境等々、
少しずつ糸が絡み始めるのでしょう。
それも複数の糸が複雑に。
だからなかなか気付きません。
気付いた時には手遅れです。
ということが言えるのではないでしょうか?
長々書きましたが、
結論は絡まった糸はハサミでチョキンと切る。
それに限る。
乱暴ですが、そう思います。
~ミカロジ社長の酔い戯れ言~100話
お陰様でこの悪戦苦闘記も100回目を迎えました。
長い間お付き合い頂き
誠にありがとうございました。
一応100回という区切りになったことと
そろそろネタが尽きたということで
一度この悪戦苦闘記は終了とさせて頂きます。
悪戦苦闘を乗り越えたからといって
今現在も決して経営が楽ではありません。
ですが、ようやく心から信頼できる従業員たちと
一緒に汗を流せる環境が整いましたので
次回以降より、ミカロジの新たな挑戦!
『ミカロジ社長の酔い戯れ言』
というテーマで引き続きブログを書かせて頂きます。
ミカロジは中小企業様専門の物流会社です!
このキャッチフレーズには
中小企業が輝かなければ日本に明るい未来はない
中小企業で働く人の笑顔を増やしたい
という私自身の強い想いがあります。
これからは私たちが経験したことのないような
厳しい時代がやってくるでしょう。
この厳しい時代に立ち向かうために
私たち中小企業同士がお互い力を合わせて
“しぶとく生き抜く!”という気持ちを込めて綴らせて頂きます。
宜しければ、またお付き合い下さい!
『ミカロジ社長の酔い戯れ言』
https://mikalogi.jp/category/reluctant/